地動説を唱えたのは?

コペルニクス、 

ケプラー、

ガリレオガリレオ

ですが、さきの2人は、正式に発表、製本をしなかったのですが、ガリレオガリレイは、これを公表して、キリストから、にらまれ、裁判にかけられて、終身禁固の罰を言い渡されるという、そして有名な、裁判の判決後に_それでも地球は回る_と言ったというのも伝記作者の創作であったらしい。伝説で飾らなくともその生涯は輝かしい業績と同時に苦難に満ちていた。

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まことというものは

「まことゝいふは、くちと、心と、手と、この三つが、そろふて、しんのまことゝいふ。それ、いかほどくちで、誠のはなしするとても、しんにまことをさまりあれば、おこなひもそれにそふて、それ、すること、なすこと、にち/\つねに、いかなることも、みな、まことのやうにばかりなるであらう。けれども、心にまことをさまりないと、それ、どうもならん。

にち/\のすること、なすことが、くちではなしたことゝ、ちがふから、せかいから、それ、あの人はくちさきばかりうまい人や、いふことだけは、まことのやうなれども、などゝいふて、それ、はなしのりをもちひてくれぬやうになる。

そこで、くちと、心と、てと、そろふて、人々より、あゝなるほどのかたやなあ、どうもかんしんな人やなあ、たのもしい人やなあ、といはれるやらう。しんのまことで、とほらうとおもへば、そこで、一つたんなふといふりを心にをさめて、われはどうでも、人さへよくば、わしはもう、これでけつこうや、たとへ、このうへどのやうにならうとも、人さへたすかつてくれゝば、それでよい。なんでも、ひとにたすかつてもらはねば、ならんといふ、心さだめねばならん。」

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特に注目したいのは最後の部分で、誠について、人さえ良ければ自らはこれで結構、たとえ自らがどうなろうとも、人さえ助かってくれればそれで良い。何でも人に助かってもらわねばならんという心を定めねばならん。と仰せられています。

誠とは自分と他人との隔たりがなくなり、人の苦しみを我が苦しみとし、人の喜びを我が喜びとし、人をたすける心になることとお教えいただくのです

誠とは「人をたすけること」

教祖は、いつも、「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」と、仰せになっていたと聞かせていただきます。
日々常に、人をたすけることを暮らしのなかで実行させていただきたいものです。

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受け取り上手、聞き取り上手

「ちょいとはなし」のヨシヨシはなぜ言うのか?
本部のぢばかんろだい、のおつとめのの理を受けてするので、ヨシヨシと言いながら、下がっている(元の場所にさがっている本部月次祭と同じにさせてもらう。お扉を開いてぢばとつながっている。朝夕のおつとめは、月次祭のおつとめまなび、拍子木も表裏拍子を叩いてるのは、そういうことです。
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受け取り上手、聞き取り上手になって
小出監督の「せっかく」
マラソンの小出監督は、あの、高橋尚子選手をコーチした、その小出監督が有森選手のケガが多く、おちこんでいた時の言葉は
「どんな時でも“せっかく”と思えばいいんだよ。せっかく神様が休めと言ってくれたんだから、今はゆっくり休もうよ」(92年バルセロナ五輪以降、有森が故障で走れなかったときに)
せっ‐かく【折角】
1 いろいろの困難を排して事をするさま。無理をして。苦労して。わざわざ。「折角来てくれたんだから、ゆっくりしていきなさい」「折角のみやげを汽車の中に置き忘れた」
2 (「折角の」の形で、体言に続けて)滅多に得られない、恵まれた状況を大切に思う気持ちを表す。「折角の休日だから、どこにも出かけたくない」「折角の好機を逃がしてしまった」
3 全力を傾けて事をするさま。つとめて。せいぜい。手紙文などで用いる。「先生のお言葉を忘れずに、折角勉学に励む覚悟です」」
おやさまはどんななかも勇んで通られた。親神は、勇めば、世界イサミ、子が勇めば、神も勇む。双方向なのです。
っと言われる。
本当に人をたすける心であるならば、何を言わずとも神はその心を受け取ると仰せられます。さらに続いて、口先の追従(ついしょう)などは不要で、心に誠があるならば神は受け取ると仰せられます。小出監督のせっかく聞いた事なので、皆さん、上手にうけとって頂きまして、勇んでお通り頂きますようよろしくお願いします。

2020年のコロナ過

これは、Facebookに投稿された記事の和訳です。原文は最後に載せてあります。気に入ったらシェアしてくださいね。

みんなが納得するワケではないと思いますが、何か見えないモノがやってきて、すべてあるべき場所へ戻してくれたと思うのです。

急にガソリンの価格が下がり、大気汚染も減少し、人々はふだんよりも時間に余裕があるようになりました。たくさんありすぎて何をしたらいいのか分からないくらいに持て余しています。親御さんは子供たちと過ごす時間が増え、仕事や出張、社会的交流は最優先事項ではなくなりました。

突如として、私たちは静かに自分自身を見つめるようになり、団結、愛、強さ、共感、信念といった言葉の価値を理解するようになりました。

そして、ある瞬間、私たちは経済的に豊かな人も貧しい人も区別なく同じ船に乗っているのだと気づきました。スーパーの棚に商品がなくなり、病院のベッドは埋まっている状況はみんな同じなのです。新車も中古車も同じようにガレージに入ったまま。だって、誰も外に出れないのですもの。

町には人影もなく、大気汚染は減少。きれいな空気。大地は息づいています。人間は元に帰ったのです。お金があってもなくても、本当に大切なのは生きることだと分かったからです。

現在、人々にとって大切なのは健康です。不可能だと言われていた社会的平等も6日間のうちに達成されました。人々は恐怖心に覆われましたが、このことがあって、人間がいかに弱い存在なのか知らしめられたのです。

自然が、私たちが招いた混乱、めちゃくちゃにしてしまったものを、自分たち自身で片づけるようにさせているように見えます。

今まで私たちが絶対的だと思ってきたものは、お金、スポーツ、名声、政治などありますが、新型コロナウイルスが私たちに次のようなことを教えてくれています。

最善の防護:神、最善の避難場所(帰る場所):家、一番の仲間:家族、私たちの財産:健康、私たちが生きるべき時間:今日、自然の呼びかけ:私たちを留まらせることで、私たちに待つこと、そして尊敬することを伝えてくれています。

私たちは神でもなく王様でもありません。すべてを支配するような力も持ち合わせていません。

私たちは、もろくて壊れやすく弱いものの一部分にすぎないのです。今まで支配し、コントロールしようとしてきた何かの一部分なのです。その全体としての自然が、私たちに、立ち止まり、深呼吸をして、そしてお互いに尊敬しあうように言っているのではないでしょうか。

基本に立ち返り、本当に大切なものに戻りましょう。そうすれば心の安穏が本当のあなたへと導いてくれるでしょう。それは、つまり神に作られた姿なのです。

I don’t know if you agree, but something invisible came and put everything in its place.

Suddenly the gasoline went down, pollution went down, people started to have more time – so much time that they do not know what to do with it – parents are spending time with their kids as a family, work is no longer a priority, or traveling or social life either.

Suddenly we silently see within ourselves and understand the value of the words “solidarity”, “love”, “strength”, “empathy” and “faith”.

In an instant we realized that we are all in the same boat; rich and poor. That the supermarket shelves are empty and the hospitals are full.

New cars and old cars also stand in the garages, simply because nobody can get out.

Empty streets, less pollution, clean air, the land also breathes.

The human returns to his origins, realizing that with or without money, the important thing is to survive.

Today, HEALTH is the main thing,

It took 6 days for the universe to establish the social equality that was said to be impossible.

Fear invaded everyone.

At least this happened to realize the vulnerability of the human being.

Nature is forcing us to clean up the mess made by ourselves.

Our overthrown gods:

-Money

-Sports

-Fame

-Politics

What the coronavirus is teaching us:

-Our best protection: GOD

-Our best refuge: HOME

– Our best company: FAMILY

Our Wealth – HEALTH

– Our real time: TODAY

– Nature’s call: STOP US

– Its message: WAIT, RESPECT

We are not gods, we are not kings, we do not have the power of controlling everything.

We are part of a whole, fragile, brittle and vulnerable something.

Part of a whole something that we wanted to dominate & today is telling us:

Stop, breathe, respect.

Go back to the basics, to the essentials, that the peace of your soul guide you towards what you are:a CREATION.

#新型コロナウイルス

#COVID19

#負けない

今年で223歳

日々はお道の上に、御丹精下さり誠にありがとうございます。今月、4月は教祖御誕生祭ということで、教祖寛政十年4月にお生まれになられました。今年で223歳になります。
中山みき様の「ひながた」を今一度、共々に学ばせて頂きたいと思います。

Photo by Miguel u00c1. Padriu00f1u00e1n on Pexels.com

立教以来、教祖の通られた道中は「たすけ一条の手本」であり、「たすけ一条のひながた」なのです。「ひながた(雛形)」とは以下の通り「見本」であり、実際に「たすけ一条の精神」で通られた「お手本」と言えます。

それでは具体的に「たすけ一条」とは何を指しているのでしょう?

「たすけ」とは病で苦しんでいる人、様々な難儀で困っている人を「助けること」。
そして「一条」とは 「ひと筋」・・・つまり「一筋の心」。
まとめれば教祖は「人を助ける心を生涯貫き通した雛形」なのです。

何故、教祖は「たすけ一条」を生涯に渡り定められたのか?

中山みきは天保9年10月26日に「月日のやしろ(神の社)」として、元の神・月日親神様の胸の内を明かし始めました。
教祖の姿は人間ですが、話す言葉は「神の心」。それが「月日のやしろ」。

月日にハせかいぢうゝハみなわが子 たすけたいとの心ばかりで
おふでさき 8号-4

これは教祖の口を通して語られた「神の心」ですが、教祖自身「神の心」を「我が心」として通られたのです。

たん/\とふでにしらしてあるけれど さとりないのが神のざんねん
おふでさき 4号-47
人間が陽気ぐらしする方法を筆(おふでさき)で教えているのに、それを誠にして実践しないのが神の残念

このように胸の内を明かしています。

でも子供に「親の言う通りにやりなさい」と言ったところで、初めてのことは勇気がいるし、やり方も分かりません。
ましてや目に見えない神様の言うことなら尚更のこと。

だからこそ、月日親神様の心を理解し、親と同じ心になった教祖が、先ずお手本を示されたのです。
教祖が「おふでさき」の教え通りに実践し「お手本」を見せくだされた・・・
それが「ひながたの道」

では具体的に何をされたのでしょうか?

教祖がお手本を示された「ひながたの道」・・・
それは・・・

[陽気づくめの心]

どんな厳しい道中も、神様に凭れて「喜び勇んで」生涯を通られた・・・
それが「教祖の偉業」。

お酒を飲んでも喜べる。
ゲームをしても喜べる。
美味しい料理を食べても喜べる・・・

でも「陽気づくめ」となると話は別です。

「陽気づくめ」とは「つらくても、苦しくても、悲しくても、ずーっと喜び続けて生きること」。

そんなことが可能な人間がこの世に存在するでしょうか?
もし、これが簡単なことだと思う方は、一度、喜び続けることに挑戦してみてください。
おそらく、いや、間違いなく三日ももたないでしょう。
いやいや、一日続けば大したものです。

「月日のやしろ」として「月日の思惑」を伝える役目はありますが、それと同時に教祖自身も「月日の思惑」を聞いているのです。
確かに教祖は「いざなみのみこと」の魂と言われていますが、魂だって基本的には同じだと思います。
皆、神様の分け御霊なのだから、魂に優劣はありません。

教祖と私達に何か違いがあるとすれば・・・

神様の言葉を「誠の心」で通ったか・・・「疑いの心」で通ったか・・・
この違いです。

私達も単発的には「誠の心」になるかも知れませんが、
教祖は24時間、ずーっと「誠の心」で通られた。
だからこそ「陽気づくめ」が可能であり、「陽気ぐらしのひながた」に成り得たのです。

これこそ「教祖の偉業」なのです。

また、教祖は超人的能力を駆使して「不思議な救け」を現わしたわけではありません。
教祖は「たすけの原理」を理解したからこそ、沢山の病気や難しい問題を治めることが可能だったのです。
そして「救けの元」になるのが「喜びの心」。

教祖は「陽気づくめの心」で「ひながたの道」を歩まれた
「陽気づくめの心」が「救け一条の心」
心の治め方1つで病気や様々な問題が治まる

なぜ、心1つで病気や様々な問題が治まるのか?
その原理

Photo by Josh Sorenson on Pexels.com

その原理は「3つの理」で構成されています。

かしものかりもの
心通りの守護
心自由
この「3つの理」の理を心に治められた。
だからこそ、教祖はどんな時も喜び勇んで「ひながたの道」を通ることができたのあります。
教祖御誕生祭の月、教祖のひながたについて、思案して、日々勇んでお通り頂きたいと思いますいます
ありがとうございました。

https://www.youtube.com/channel/UChpJ0YuyvrTBB8fNkoExQIg

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心の自由

我々は「かしもの、かりもの」ということで、
心は自由と言われていますが、
それを戒める手段、

心入れ替えさせようとする手段として
8種あると言われています。
親が子供にしこむように
軽い順番から
よう向き
せきこみ
手引き
みちおせ
手入れ
いけん
ざんねん
りっぷく
 

っと、おふでさきによく出てきます。
明治の時にはやりました。コレラの時のおふでさきには
「せかいなくはコレラというけれど 月日ざんねんしらすことなり」14号ー22

今のコロナは多分、皆がことばかり、自分ファーストの考えが蔓延している結果がコロナが蔓延しているのではないかと思いませんか。

私の調べでは、
おふでさきには、「ざんねん」が48首
「りっぷく」は25首

そのひとつには

このせかい山ぐゑなそもかみなりも
ぢしんをふかぜ月日りいふく (6-91)

おふでさきの中に、「神の立腹」という言葉がしばしば目に付きます。
「神の立腹」は、あくまでも子ども可愛い親心に徹しきった、人間を包み育てる立場のものです。
したがって、それは人間が日々感じる「立腹」とは概念の大きく違ったものであると言えます。つまり、「八つのほこり」の一つとして人間にお戒め下さる「腹立ち」と「神の立腹」とは矛盾しないのです。
あまりにも心の成人に時間がかかる子を思う、親神様の心のもどかしさが、「神の立腹」として表現されているようです。

おふでさきの中で表現される「神の立腹」とは、悪事がのかんこと、強慾をつくすこと、うそとついしよ、人をたすける心のないこと、たすけ一条の道を止めること、神の言葉を疑い取り消すことなどで現れています。
また「神の立腹」の現れる時も、一度は許す、二度は見逃す、三度は許さんというように、つもり重なって始めて現れます。
その現れ方は、病、天変地異、事情などとなって現れ、その状態は決して生半可なものではなく、徹底されています。

しかし、どんなに強い「神の立腹」も、人間の心を入れ替えさえすれば、必ずたすけて下います。

ありがとう

私たちの周りには、数えきれないほどの喜べることがあります。しかし、そのことに気づくかどうかは、その人の心次第です。 私 たちの身体にしてもそうで 人はだれもが、幸せになりたいと思っていることでしょう。人それぞれに幸せの定義は異なると思いますが、おそらく多くの人は、いまの自分が手にしていない未来の幸せを夢見て、努力を重ねているのではないでしょうか。 たしかに、未来の目標に向かって努力することは大切です。しかし、未来の幸せを求めるあまり に、いまの幸せに気づかずにいるのだとしたら、とてももったいないことだと思います。 では、いまを喜ぶためには、どうすればいいのでしょうか。それには、少しだけ意識を変える必要 があります。 た とえば、「いまから 50 年後には、空気はコンビニで買う時代になります」。この話を聞いて「そ んなばかな話があるものか」と思う人がいるでしょう。しかし、考えてみてください。いまから 60 年前、戦後の日本はとても貧しく、食べるものにも事欠く状態でした。そんな時代でも、水は蛇口をひねれば出てくるもので、だれでも店で水を買うような時代が来るとは思っていなかったでしょう。しかし現在、「○○の水」といった名前のミネラルウォーターがペットボトルで 売られています。 この現実を考えてみると、もしかしたら 50 年後、環境汚染がいまよりも進み、マスクなしでは外出 できなくなった日本で、ボンベに入った「富士山の空気」などというのをコンビニで買って、それを 背負って会社に行くサラリーマンの姿が見られるかもしれません。 日本は高度経済成長を遂げ、本当に豊かな暮らしができるようになりました。こんな時代だからこそ、水を飲むことができる、空気を吸うことができることを、ありがたいと思えるようなお互いでありたいものです。
す。目が見える、耳が聞こえる、会話ができる、呼吸ができる、手足 を動かすことができる…。一見、当たり前のように思えることで すが、少しだけ意識を変えて、これらをありがたいと思えるようになることが、いまの幸せにつながるのではないでしょうか。 水を飲むたびに、呼吸をするたびに喜びを感じ続けるのは難しいものです。まずは、一日のうち ほんの少しの時間でも、「当たり前」に感謝するようにしてみては如何でしょうか?
「当たり前」の反対の言葉が「有難い」ある事がむずかしいと書きます。
有難いことに出くわしたら「ありがとう」
そうでなくても人にお世話になれば「ありがとう」
当たり前のことであっても「ありがとう」

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